
『日月神示』によると、鬼門に封印された祟り神「国常立尊」は、泥海の地球を修理固成した「この世を始めた神(龍神の総大将)」だという。
『古事記』では、天地開闢の際に現れた造化三神は「天御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」となっているが、『日本書記』では「国常立尊」が最初に現れ、次いで「国狭槌尊」「豊斟渟尊 」が現れたとされている。
根源神である国常立尊は、聖書でいう「ヤハウェ」に対応する。
だとすれば、国常立尊はグノーシス主義がいうところの、物質界を創造した悪神「デミウルゴス」という事になる。
だが、それは違う。

国常立尊は「ルシファー」でもあり、グノーシス主義が善神として信仰する「アイオーン」に当たる。
「ヤハウェ」でもあり「ルシファー」でもある国常立尊。
それは、「ヤハウェ」が固有名詞ではなく、絶対神「ヤハウェ」だったアメンが堕天使「ルシファー」とされ、代わってアテンが絶対神「ヤハウェ」となったからである。
神道の主神は太陽神「天照大神」だが、日本神話には重大なヒントが示されている。
それは、スサノオの乱暴によって、天照大神が岩戸に隠れたというエピソードである。
聖書に置き換えれば、ルシファーの反乱によって、絶対神「ヤハウェ」が岩戸に隠れた事になる。
だが、聖書にそのような記述はない。

日本神話でも、天照大神は岩戸から出てきた事になっているが、『日月神示』はそれを否定している。
「大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙した岩戸からは騙した神がおでましぞと知らしてあろう」
『日月神示』は『大本神諭』の続編だとされているが、『大本神諭』でも同様の事が示されている。
「岩戸へお入りになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸を開くのが嘘を申して、だまして無理に引っ張りだして、この世は勇みたらよいものと、それからは天のうずめの命どのの、嘘が手柄となりて、この世が嘘でつくねた世であるから、神にまことがない故に、人民悪くなるばかり」

『大本神諭』や『日月神示』を降ろした神は、「国常立尊」だとされている。
つまり、『日月神示』はルシファーの預言書なのだ。
また、アリオン(ミカエル)はルシファーと兄弟であり、「日月神示を降ろした神と同じ霊統の神」だと述べている。
だが、『大本神諭』にはこのように示されている。
「この世を始めた神なれど、余り我が強うて丑寅へ三千年と五十年押し込められて居り……」
これは、慢心が原因で「死の樹」に落ち、ケリッポト(隔離された貝)に閉じ込められたルシファーと一致。
その意味では、国常立尊(スサノオ)は堕天使であり、ケリッポトに堕ちると善悪が逆転して見えるようになる。

但し、国常立尊の視点から見て善悪が逆転しているのではない。
話の流れをよく考えてみて頂きたい。
我々の視点が、本来の善悪を逆転して捉えている為に、国常立尊(ルシファー)が堕天使に見えるのだ。
国常立尊が、実際に傲慢で我が強かった訳ではない。
国常立尊は『日月神示』の中で、こう告げている。
「人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ」
「慢心おそろしいぞ」

約3000年前と言えば、モーゼの時代である。
言わずと知れた、ユダヤ一神教の時代の始まりである。
太陽神「アメン」が封印され、新しい太陽神「アテン」が信仰対象となった。
「ヤハウェ」が太陽神であるなら、この時にヤハウェは「アメン」から「アテン」にすり替わったのだ。
埋没神となったアメンは、ルシファーであると同時にアモン(バアル)である。
アモンは子牛であり、バアルも太陽神にして暴風雨の神、そして牛神である。
即ち、アメン(アモン=バアル)は、スサノオなのだ。
お分かりだろうか。
岩戸に隠れた「天照大神」と鬼門に封印された「スサノオ」は同一神であり、『日月神示』がいう「偽の天照大神」とは、太陽神「アテン」であり、キリスト教で信仰されている「ヤハウェ」なのだ。