ヤハウェの隠された名前が「アテン」である事は、モーゼがユダヤ一神教の始祖(アテン信仰の継承者)とされている事から考えても、辻褄が合う。
だが、何故、それを隠さなければならないのか。
ヤハウェには、別の名前があるのではないだろうか。
『旧約聖書』の主は、「ヤハウェ」と「バアル」の2柱の神が混在している事を前に述べた。
だが、ヤハウェは名無しの神である。
厳密に言えば、「アテン」と「バアル」の敵対する二神が存在し、どちらも主「ヤハウェ」なのだ。
バアルはエジプトの太陽神「アメン(アモン)」と同一神。
つまり、ヤハウェとは、エジプトの「アメン」と「アテン」だった事になる。
更に言えば、真のヤハウェは「アメン」だったというのが、私の結論である。

イエスは、「モーゼの時代に戻らなければならない」と説き、ユダヤ教ファリサイ派を非難した。
これが何を意味するのかは、少し分析すれば見当が付く。
イエスの時代、多神教のバアル信仰をしているユダヤ人はいなかった。
中にはいたかも知れないが、皆無に等しかったと言って良いだろう。
そもそも、バアル信仰のイスラエル10支族は、当時のパレスチナには存在しなかった。
だが、2支族のユダヤ人の歴史も遡ると、ソロモンの時代まではバアル信仰をしていたユダヤ人が少なくなかった。
ソロモン自身も、バアル信仰に傾倒していた事が分かっている。
そして、既に述べた通り、私の仮説ではモーゼはバアル信仰者だった。
つまり、イエスはバアル信仰の復活を説いたのである。
バアルを「アメン」「ミトラ」に置き換えても良い。
ヤハウェの名は、ユダヤ教徒によって隠されてきた可能性がある。
「ヤハウェ=私は〜である」

そのヒントは、「私は『最初であり最後』である」以外に、イエスはこう語っている。
「私は『世の光』である」
「光」は、実はヤハウェの象徴である。
モーゼがシナイ山でヤハウェの啓示を受けて下山した時、モーゼの顔が「光」を帯びていたからだ。
光はヘブライ語で「コラ」と言い、角も「コラ」である。
モーゼの聖画には、モーゼの頭に二本角のような光が描かれている。
言うまでもなく、二本角は牡牛神「バアル」の象徴である。
バアルは絶対神「ヤハウェ」であると同時に、アテン信仰者によって、悪魔(異教の神)に貶められる事になった。
悪魔学では、ルシファーに次ぐ悪魔として「ベルゼブル」を挙げている。

だが、ベルゼブルの語源は「バアル・ゼブル(バアルの王子)」で、バアルはセム語で「主」を意味する。
では、「王子」とは一体どういう事なのか。
ウガリット神話で、バアルは最高神「イル」の息子であり、二代目という事である。
バアルが「主」を意味するなら、イルが初代「バアル」だと言えるだろう。
『新約聖書』では、ベルゼブルは魔王として位置付けられ、「ルシファー」と同一視されている。
いずれも「光」を象徴し、「バアル=ルシファー」を裏付けている。
「私は『世の光』である」=「私は『ルシファー』である」
そして、イエスもルシファーも、「光」「蛇」「金星」を象徴としている。

イエスがルシファーの預言者だとすると、黙示録に預言された「反キリスト」の概念は180度転換する事になる。
むしろ、イエス自身が「反キリスト」だったとさえ言えるのである。
誤解してもらっては困るが、聖書の視点から見た絶対悪としての「反キリスト」ではない。
大まかではあるが、これが私の「善悪逆転論」の概要である。
話を整理すると、ヤハウェが主神であり、イエスがその預言者だった事は間違いない。
そして、真のヤハウェは「アメン=バアル=ルシファー」だが、ユダヤ・キリスト教徒は「アテン=アトン=アドナイ」をヤハウェとして崇拝し、「アメン=バアル=ルシファー」を悪魔としたのだ。
これは私の妄想だろうか……。
否、これからその証拠を明らかにしていこう。