
聖書の神は「エホバ」「ヤーウェ」「ヤーヴェ」等と発音されているが、「ヤハウェ」が原音に近いとされている。
呼び方はどうあれ、実はそれらは名前ではない。
「モーゼの十戒」に「神の名をみだりに口にするなかれ」と戒められている為、神の名が隠されているのだ。
ヤハウェは、「我は在りて在るもの」という意味である。
端的に言えば「私は在る」であり、「実在」する事を意味する。
実在とは何か……。
生長の家の聖経「甘露の法雨」には、次のように説かれている。
「物質はただ心の影、影を見て実在と見るものはこれ迷。
汝ら心して迷に捉わるること勿れ。
汝ら『実在』は永遠にして滅ぶることなし」
この事は、量子力学では認められている事実である。
よって、ヤハウェとモーゼの媒介者が地球外生命体だったとしても、ヤハウェ自体は本質的に「神霊」なのだ。

だが、私はもっと深い意味を感じている。
「私は在る」……英語にして「I am」。
イエス・キリストも、「私はアブラハムが存在する前から『私はある』」と語っている。
アブラハムの時代には、まだイエスは生まれていない。
つまり、イエスはアブラハムの時代には「ヤハウェ」として存在していた事を示唆する。
だが、絶対神が人間として誕生する事は有り得ない。
それは、アリオンも語っている通りである。
厳密に言えば、イエスはヤハウェの分魂の受肉なのだ。
イエスは、「私は最初であり最後である」とも言っている。
換言すれば「永遠」である。
まさに、「実在は永遠にして滅ぶることなし」なのだ。
それは、宇宙の初めから終わりまで存在する……AUM(創造・維持・破壊)の神に他ならない。
その前に順序立てて説明するが、イエスは「私はヤハウェである」と名乗っている。

しかし、ヤハウェ自体が「私はある」という意味である。
「I am.」
正確には、「私は〜である」という意味だ。
「〜」が、封印された神の名なのだ。
「〜」には、何が当て嵌るのか……。
「ヤハウェ」と呼ばれる神を遡れば、エジプトの太陽神「アテン(アトン)」に行き着く。
「私は『アテンで』ある」
それを隠す為に、ヤハウェの名「アテン」を呼ぶ事が禁じられてきたのだろうか。
いずれにしても、ヤハウェの名が「アテン」だというのが私の仮説である。
だが、本題はここからである。