2010年05月28日

釈迦の悟りと弥勒菩薩の謎

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神の存在を説かなかったと言われる釈迦だが、仏典に登場する「菩薩」とは何か……。
釈迦は、「弥勒菩薩の下生」を預言した。
下生とは、人間界に生まれてくること。
つまり、菩薩は人間である。
菩薩はサンスクリット語の「ボーディ・サッドヴァ」で、「悟りを求める者」の意である。
弥勒菩薩は人類を救済するという。
三蔵法師に「般若心経」を与えたのは観世音菩薩だった。
それ故、菩薩は悟りを求める者というよりも、既に「悟りを開いた者」と言えるだろう。

悟りを開いた者を「仏陀」という。
だが、キリスト教で「キリスト」をイエスと同義語とされているように、仏教では「仏陀」は釈迦を指す。
従って、ボーディ・サッドヴァの本来の意味は「悟りを求める者」かも知れないが、既に「悟りを開いている者」を含めた語であるという解釈も出来る。
普通に考えて、菩薩が悟りを開いた者であっても、何もおかしくはない。

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そもそも、「悟り」とは宇宙の真理を悟る事である。
悟りを開いても、まだ上の悟りもある。
悟りとは一回限りの体験ではなく、悟りを開いても、まだまだ知り得ない真理は沢山あるのだ。
その意味では、仏陀でさえ、永遠に「菩薩」であり続けるとも言える。

「思考によって悟りの境地に到達する」というオコツトの言葉の通り、哲学や科学の研究によって認識が変わり、意識変革をもたらす事もある。
だが、殆どの場合は知識的な理解で終わるものだ。
通常、悟りとは、心理的な至高体験である。
それは、「梵我一如」の体感である。
悟りを開いた者は決して少なくない。
私でさえ、悟りを開いた仏陀なのだ。
とは言っても、その悟りはまだまだ低い段階で、釈迦には到底及ばない「菩薩」の身であるが……。
しかも、日常生活の中では、悟りが閉じている事が多い(笑)

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『日月神示』で「この世は幽界同様になっているぞ」と忠告されている通り、この世で生きている限りは、ある程度は仕方がない。
ところで、神の視点から人間界のことを「この世」と言っているのは何故か。
人間が読んで分かりやすいように、人間の視点で「この世」と書いてくれているのだろうか。
否、これには理由があるが、長くなるので別の機会に詳述する。

話を戻すが、「悟りを求める者=菩薩」なら、私は菩薩である。
我こそ「ヘンリー・クライスト菩薩」である(笑)

一休さんが悟りを開いた時、「その悟りはまだまだ小さい」と、師に言われた。
だが、一体さんは「この悟りが小さければ、それはそれで良い」と言った。
すると師は、「それでこそ本物の悟りだ」と評した。
一休さんも仏陀であり、菩薩なのだ。
では、私も仏陀の端くれだと自認している。
当然、釈迦も仏陀であると同時に、菩薩である。
但し、釈迦の悟りは「大悟」であった。

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悟りは、2つに大別できる。
まず、1つは「宇宙との一体化」である。
私は自分の霊体の姿形がなくなって、宇宙空間と融合した。
別に、変な薬をやっていた訳ではない(笑)

そして、宇宙との一体化にも無限のレベルがある。
だが、宇宙との一体化は「小悟」である。
宇宙は、宇宙の根本原理「ブラフマン」の顕れである。
ブラフマンとの一体化が、「大悟」だと言えるだろう。
真言密教では、宇宙の根本原理を「大日如来」という。

「大日如来=ブラフマン」

大日如来との一体化を体験したという空海は、宇宙の初めの音は「阿」だと言っている。
「A・UM」の「A=阿」である。それは、「ムウア」の「ア」である。
空海の悟りは、宇宙との一体化の極限か、根本原理との一体化の入口だったと言える。

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一方、釈迦の悟りはハンパではない。

「種々なる過去の生涯を想い起こした。
すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯……百千の生涯を、また幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を、それらの過去を想い起こした」


つまり、無数の過去世を思い出したばかりか、宇宙創造、宇宙創造前の宇宙破壊、更にその前の宇宙創造……何度も繰り返してきた「宇宙の創造と破壊」を思い出したというのだ。
「思い出した」という表現に疑問を感じる人は、まだ「人間」を理解していない。
人間は、宇宙を創造した根本原理「ブラフマン」の分魂であり、宇宙誕生と同時に存在した。

もっと言えば、「今の宇宙」は「前の宇宙」の結果である。
ブラフマンは、宇宙の「AUM」を繰り返してきた。
我々は、幾多の宇宙輪廻を体験しているのだ。
従って、釈迦はそれを「思い出した」のである。
釈迦が、「宇宙成立破壊期」と表現しているのは、私流に言えば「MUAUM」であり、まさに釈迦の大悟を物語っている。
ム(無)からウ(有)が生み出されたが、『日月神示』にはこう示されている。

「ウもムも同じであるぞ」

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悟りを開いたと称する人の話によれば、天地創造の神は「Ω神」だと言うが、実に興味深い話だ。
Ω(オメガ)は終わりであり、AUM(アウン)のUM(ウン)、特に「M=破壊神シヴァ」を意味する。
シヴァ(ルシファー=スサノオ)を「荒ぶる神」というが、スサノオを「現生る神」と定義する『日月神示』と一致する。

当然ながら、釈迦は未来の出来事……2012年に訪れる宇宙の終焉と、それに続く新たな宇宙の創生期も観る事が出来た。
それ故、弥勒菩薩の下生を明確に予見した。
宇宙の根本原理との一体化を体験した大悟者を「仏陀」、宇宙との一体化を体験した小悟者を「菩薩」と定義するなら、菩薩は仏陀になる前の段階と言える。

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だが、仏陀となった釈迦と言えども、宇宙の総てを知り得た訳ではなく、やはり永遠に「菩薩」でもあるのだ。
但し、広義の意味で「悟りを求める者」が菩薩なら、宇宙との一体化を体験していない者や、悪人も「菩薩」に含まれる。
もちろん、「悟りを求める霊」も菩薩である。
真理を求めてさえいれば、悪霊や幽霊でさえ「菩薩」と言うことが出来る。

「悟り」に関心がない人であっても、知識欲は人間の本能であり、深層意識では必ず「真理」を求めているのが人間である。
何故なら、人間の魂はブラフマンの分魂だからである。
その意味では、例外なく万民が「菩薩」であり、神界や幽界の総ての霊が「菩薩」なのだ。

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しかし、そのように定義してしまうと、仏典に登場する「菩薩」の意味が失われてしまう。
基本的に、仏典が示す菩薩は「肉体を持った人間」である。
そして、私から言わせると「悟りを開いた者=仏陀」も、菩薩に含まれるという事である。

当然ながら、菩薩は地上人だけとは限らない。
異星人やシャンバラの人間も含まれる。
仏典に登場する菩薩は、地上人ではないフシがあるのだ。
宇宙考古学の、異星人による人類創造論並みに異常な仮説だが、「菩薩」はシャンバラと無関係ではない。

だが、菩薩(悟りを求める者)が人類を救えるかどうかは疑問だ。
菩薩として生まれて、仏陀になって人類を救済するのだろうか。
確かに、釈迦もイエスも、生まれた時から悟りを開いていた訳ではなく、飽くまでも「菩薩」だった。
だが、弥勒に敢えて「菩薩」という称号が付けられているのは何故か……。
どうも、「シャンバラ」を暗に示しているようなのだ。
前置きが長くなってしまったので、続きは次の項に譲ることにする。
posted by ヘンリー・クライスト(夢蛇鬼王) at 15:16| Comment(0) | 【第1章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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