
ヒンドゥー教の六派哲学は、それぞれ方法論は異なるが、いずれも「解脱」を目的とするものだった。
それ故に、脱皮をする蛇が神聖視されたのだろう。
「解脱せよ」とは、シヴァの化身を名乗っていたAUMの麻原の有名な台詞だが、解脱とは「輪廻からの脱却」である。
釈迦は、神の存在を否定していたと言われているが、実際には説いていなかっただけで、否定も肯定もしていなかったようだ。
恐らく、「無神論的一元論」に達して、神は在って無き如き存在だったのだろう。
輪廻を説く仏教だが、釈迦は輪廻については否定していたらしい。
もっと言えば、地獄や天国の存在も否定していたという説もある。
この話は本当だと思う。それが、究極の悟りだからである。
何しろ、釈迦が言うには「一切が無」なのだから。
スウェデンボルグの真似ではないが、私は体外離脱で地獄のような世界も体験した。
死後、あのような世界には逝きたくないが、記憶喪失になって生まれ変わるのはもっと御免だ。

モンロー研究所によると、「フォーカス27」が輪廻転生地点だという。
フォーカスとは意識レベルの事だが、「次元」的な意味合いで使われる事が多い。
死後、フォーカス27に到達すると、再びこの世に再生するというのだ。
このフォーカス27という世界は、アルトラル界(幽界)の最上階にあたるが、『日月神示』には次のように示されている。
「霊界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分かれ、陽霊人、陰霊人とが居る。
陽霊人は人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。
高い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民の頭で判るように申してゐるのであるぞ。
幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ」
「人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反映するのであるぞ。
幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな」
「迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。
無き筈のもの生み出しそれが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。
今の人民九分九厘は幽界とのつながりをもつ」

幽界は4次元と定義されているが、「幽界=4次元」かどうかはともかく、幽界は人間の想念が創り出した世界で、本来は存在しない世界だと、『日月神示』は説いているのだ。
本来存在しないという事は、「実在」ではないという事である。
即ち、仏教で言う「六道輪廻」は、迷いの世界という事になる。
現実に幽界は存在し、輪廻転生と思われる事例も無数に報告されているが、それは幻影の世界を循環しているという事なのだ。
だから、釈迦はそれを否定した。なるほど……納得!
人類の大半は、死後は幽界の陰霊人になると思われるが、善霊であれ悪霊であれ、幽界霊とは要は「幽霊」である。
幽霊と言えば不気味なイメージがあるが、人間は皆、幽霊の生まれ変わりという事になる(笑)
そもそも、人体は大別して「霊体」「幽体」「肉体」の三重構造になっているが、肉体の有無の違いだけであって、人間も幽霊なのだ。

解脱というのは、輪廻からの脱却。
つまり、肉体を脱いで4次元に行くように、幽体を脱いで5次元に移行する事を意味する。
フォーカスレベルで言うとフォーカス28〜35で、輪廻の過程にある人たちの霊的成長を助けたり、自らが望んだ場合にのみ、人間界に転生するそうだ。
この5次元世界(フォーカス28〜35)は、「実在の世界」や「原因の世界」と呼ばれている。
そこは、『日月神示』で天使が住むという「神界の霊国」にあたり、特に「フォーカス35」は輪廻を卒業したレベルだとされている。
釈迦が輪廻を否定したのは、輪廻からの解脱を説いていたからなのだ。