2010年05月27日

アートマンと不二一元論の終末思想

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インド哲学は『ヴェーダ』として編纂され、7種類に分類されるが、その中で根本聖典(サンヒスター)と呼ばれるのが、次の4つである。

賛歌『リグ・ヴェーダ』
祭詞『ヤジュル・ヴェーダ』
歌詠『サーマ・ヴェーダ』
呪詞『アタルヴァ・ヴェーダ』

これを根本とし、

祭儀書『ブラフマーナ』
森林書『アーラニヤカ』
奥義書『ウパニシャッド』

を、付随して成立したのが、バラモン(ブラフマン)教だった。
ブラフマンが人間の魂として顕れたのが、「アートマン」と呼ばれる。

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奥義書『ウパニシャッド』には、次のように書かれている。

「人々は『あの神を拝め、この神を拝め』と口々に言う。
だがそれら総てはブラフマンの創造である。
ブラフマンこそ総ての神である」


「全世界は最も本質なるものを魂とする。
それはリアリティ。それはアートマン。それは汝なり」


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つまり、人間の魂は、宇宙の根本原理であるところの「ブラフマン」の分魂という訳だ。
仏教では、ブラフマンを「梵」、アートマンを「我」と表記するが、『ウパニシャッド』では両者の一体性が強調されている。
この悟りの境地を、「梵我一如」という。
一般的には、「神人合一」や「天人合一」とも呼ばれる。

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やがて、『ヴェーダ』から次の六派哲学が生まれた。

【ミーマーンサー学派】
祭祀による幸福を説く。

この形骸化した祭祀が釈迦に批判されたが、形式がダメだという意味ではない。

【ニヤーヤ学派】
論理の追求による解脱を説く。

「空間認識の反転が人間の意識進化をもたらす」という、オコツトの話と通底する部分がある。

【サーンキヤ学派】
精神原理と物質原理の二元論を展開。

物質から精神を解放する事で解脱を目指すが、絶対神の存在は認めていない。
私の考えでは、無神論と有神論は究極的に同じなので、無神論でも構わない。
物質から精神を解放……つまり、「霊主体従」は一つの真理なので間違いではない。

【ヴァイシェーシカ学派】
自然哲学の研究。

物質を認めるが、物質は非物質で構成されている事を説く。
これは、古代の量子論である。
「霊主体従」にも「体主霊従」にも偏らない、釈迦の教えである「中道」だと言える。

【ヨーガ学派】
心身の訓練によって、心身の統一を図ることで解脱を説く。

これも、物質を否定せず、精神との統一を図る「中道」である。
ヨーガは「結合」の意で、心身の結合を意味するが、究極的には「梵我一如」を意味する。

【ヴェーダーンタ学派】
ヒンドゥー教の核となる思想で、『ウパニシャッド』を重視し、「不二一元論」を展開。

ブラフマンとの一体化「梵我一如」により、ブラフマン以外に「実在」はなく、世界は幻影だという思想である。
ブラフマンは宇宙原理の為、究極的には「無神論的不二一元論」となる。
精神原理と物質原理の二元論を主張し、物質と神を否定する「サーンキヤ学派」と通底する部分もある。
3次元(結果の世界)は5次元(原因の世界)の投影、または、オコツトの言う「宇宙は有機体の妄影」に似ている。

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更に、オコツトは言う。

「あなたがたの眼前に展開されている宇宙は真実の宇宙構造が完全に転倒させられた影のようなものです」

興味深い事は、古代の量子論とも言える「ヴァイシェーシカ学派」が、「言葉は『実在』に対応する」と説いている事である。
当然、祭祀主義の「ミーマーンサー学派」でも、言葉(マントラ)による祭祀が執り行われた。
普通に考えると、六派の哲学はそれぞれ対立した思想のように見えるが、ジャイナ教が主張する「相対主義」で見れば、六派哲学は究極的には同様の事を説いている。

もし、六派を統合すれば、偏りのないバランスの取れた思想となる。
もちろん、ヘンリー・クライスト哲学は、六派哲学をも包含している。
だが、ジャイナ教は、バラモン教の祭祀や『ヴェーダ』の権威を否定していた(笑)
宗教家には「霊主体従」主義者が多く、科学者には「体主霊従」主義者が多い。
「霊主体従」は右脳思考(精神主義)、「体主霊従」は左脳思考(物質主義)と言い換える事が出来るが、重要なのはバランスである。
釈迦が「中道」を説いたのも、そこにある。

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アリオンは、こう言っている。

「魂は心と身体でつながっている。
身体と魂は分離するまでは別々に語ることはできない。
魂の動きは心を通して身体に伝達される。
そして身体の情報も心を通して魂に伝達される」


精神を無視した物質主義が現代社会を生み出したことは事実だが、物質を無視した精神主義も危険である。

オコツトは、次のように言っている。

「物質的知識の獲得の目的は、そこで得られる知識それ自体にあるのではなく、それらの知識に根本的な刷新を与えること。
つまり、物質的知が精神的な知へと変容するところにあるのです」


つまり、物質的知識が極まる事によって、それが精神的知識に転換するということだ。
もっと言えば、物質科学が人類滅亡の危機を生み出している現在は、転換期の直前にあると言える。
今、終末に向かって、宇宙の破壊が進んでいる。
シヴァ(ルシファー)の活動である。

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アリオンは、次のようにも言っている。

「終わりは始まりに似ている。始まりは終わりに似ている」

「さて、時は熟してきた。
破壊を恐れるな、真の破壊には創造が必ずセットされているからだ」


「創世記」を思い出してほしい。一なる神から万物が生み出された。
ヒンドゥー教でも、宇宙原理「ブラフマン」がブラフマーに具現化し、「AUM」が生まれていった。
ところが、オコツトは逆説を説いている。

「真の創造行為とは、あなたがたにとって眼前に展開されている世界の多様性を『一なるもの』に統合していくところにあります」

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確かに「創造」は、一なるものが破壊されて分裂したと言う事も出来る。
そして、破壊期と呼ばれる現在、あらゆる事象が黄金時代に向けて「統合」へと向かっている。
ヒンドゥー教では「AUM」、つまり「アウム」で始まっているが、『日月神示』では「ムウア」、つまり「MUA」で始まったとされている。

「AUM」は反転した世界なのだろうか。
また、ワンサイクルで見ると「MUA」が創造、「AUM」が破壊と解釈できなくもない。
破壊と創造が連動したサイクルであれば、「MUAUM」と表現する事も出来る。
これについて、ある人から興味深い指摘を受けた。
「MUAUM」は「無 A 生む」で、創造と破壊の一神のように見える……と。

『日月神示』にも同様の意味合いの事が示されている。

「ウとは現実界ぞ。
ムとは霊界であるぞ、ウもムも同じであるぞ。
ムからウ生れて来ると申してあること、よく心得よ」

posted by ヘンリー・クライスト(夢蛇鬼王) at 23:02| Comment(4) | 【第1章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヘンリー・クライストさま

●以前に『七五三』から導きだした
1×3×4×5×6×7×9=22680

●ヒンドゥー教の神話によると
ブラフマンの1日は 86億4000万年

両者の数字を掛けると

22680×86億4000万=195兆9552億(ニネヴェ定数)

グーグルの電卓機能を使って確認可能

ニネヴェ定数とは ネットで検索すると出てきますが シュメールの粘土板に記されている謎の数値だそうです

感謝



Posted by ありがとう^^感謝 at 2010年08月25日 19:15
ありがとう^^感謝さんの発想にはいつも脱帽です^^;
Posted by ヘンリー at 2010年11月21日 13:18
訂正 ブラフマンの1日ではなく ブラフマーの1日とすべきでした^^

ブラフマーの半日(昼)43億2000万年=1カルパ
ブラフマーの半日(夜)43億2000万年=1カルパ

ブラフマーの1日は 86億4000万年=2カルパ

1年を360日とすると 100年後は

311兆400億年=ビシュヌ神の半日

311兆400億年を チャクラの花弁の数から求めてみました 上記のホームページアドレス参照

感謝
Posted by ありがとう^^感謝 at 2010年11月25日 20:26
気が遠くなる話ですね^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2011年02月03日 20:01
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