
「神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」と、「創世記」にあったが、これは単なる昼夜ではなく、「陰陽二元論」または「善悪二元論」を意味する。
だが、究極的には混沌と闇の「無」、つまり「一元論」に回帰する事になる。
通常、我々は物質と空間を別々に認識し、空間に物質が存在すると思っている。
そして、物質主体の世界観を持って生きている。
だが、物質は素粒子で構成され、空間にも素粒子が充満している。
両者は決して分離されたものではないのだ。
オコツトは、この3次元的な空間認識の在り方を、逆転させなければならないという。
つまり、外部を内部と見るような認識方法の構築を説いているのだ。
「かごめの歌」について、様々な解釈が試みられており、私もいくつかの複合解釈の結果、「ルシファー復活」の予言である事を神仙組で発表した。
今回、新たな解釈を試みだが、やはり結果は「ルシファー復活」の予言という結果となった。

まず、かごめ歌の遊びは、鬼の周りを囲んで周りながら歌う。
鬼を地球に見立てると、その周りを周る子供たちは太陽系の諸惑星である。
「鬼=地球」
かごめは「籠目=六芒星」で、「籠」は「龍」の封印を象形し、「六」は「八」の封印を象形している。
そして、カバラで「六」は地球の象徴数。
「芒」は、棘の冠を被って処刑された「イエス・キリスト」を表すと同時に、「ひかり」とも読む事からも「ルシファー」を意味する。
鬼は、地上に落とされて「鬼門に封印された神」。
日本神話の「スサノオ」であり、西洋でいう「ルシファー」である。
「籠の中の鳥」とは、地球に封印された「八=スサノオ=鬼=ルシファー=龍」を暗示。
「夜明けの晩」は終末、即ち「現代」を指すが、夜明けは西の空、その後ろの正面とは……。
東の空から登る金星「明けの明星=ルシファー」であり、聖書の予言「光は東方より」と対応する。
明け明星を「日の出」に置き換えても同じ事だ。
「太陽=天照大神=イエス・キリスト=ルシファー」
当然ながら、「アメン」「バアル」の復活と同義語、またはそれらを含めた意味である。
これを「ミクロ」、即ち内的に見れば、カバラで「六」は人間を指す数字である。
肉体に封印された「光=ルシファー」の復活を暗示する。
「後ろの正面だれ?」は、反転した世界を見ろという意味だ。

ここで、私の解説を交えながら、半田広宣氏による「かごめ歌」の解釈にバトンタッチする。
やはり、籠目は「六芒星」で、鳥は古代から人間の「霊性」のシンボル。
つまり、「籠の中の鳥」は、「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」を表し、私が言う「ルシファー=スサノオ=イエス・キリスト」と符合する。
夜明けの晩は、1日の円環的つなぎ目で、「宇宙の円環的な性質」を物語っているという。
つまり、夜明けの晩は、宇宙周期の破壊期「終末」にあたる。
「鶴」は女性原理の象徴で、「亀」は男性原理の象徴。
これが「すべる(統べる)」とは、「陰陽の統合」を意味する。
つまり、「光と闇」「善と悪」の一元回帰と換言する事が出来る。

問題は「うしろの正面」だが、半田はこのように述べている。
「わたしたちが常に背中側に感じている暗闇の意識空間……
そこには何と、真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。
つまり、わたしたちの背後には、いわゆる3次元的な意味での後ろ側の空間など存在していないのである。
その意味からすれば、うしろの正面とは、他者が見ているわたし自身に他ならない。
自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。
そして、このことを発見することが、かごの中の鳥を真の自由空間へ飛翔させるのだ」

理解しようとすればするほど強烈な世界観だが、2010年3月以降、私はこの感覚が掴みかけつつある。
覚醒状態のまま異次元にトリップしそうな気さえしてくる。
聖書に登場する昇天した預言者や、ヒマラヤの聖者や仙人と呼ばれるような人物は、この感覚を完全に認識しているのだろう。
カバラの奥義「生命の樹」の鏡像反転の原理も、そこにあると思われる。
オコツトによれば、「宇宙には太陽系しか存在しない」という。
半田氏は、「我々が銀河系と呼んでいる世界は、反転した地球の中心部」だと解説している。

そして、次のようにまとめている。
「素粒子を物質の内部でうごめいているミクロ的世界の客観物と考えている限り、決してその本性を捕らえることはできないだろう。
それらは決してミクロ的世界の産物ではないのだ。
むしろ、時空間を超えた構造の中で、わたしや他者の意識を包含し、さらには、それら両者の関係性さえをも包み込んでいる真のマクロ的世界の存在物である可能性の方が高い……信じがたいことだが、わたしたちの認識しているこの大宇宙の方が量子の中にあると言った方が正しい」

これは、非常に重要な意味を含んでいる。
今は理解できなくても、反転した世界の認識を深める訓練をしておいた方が良いだろう。
とは言っても、物質の世界で肉体を持って生きている我々人間にとっては、皆目見当もつかない未知なる概念である。
オコツトは言う。
「人間の内面においては無限大と無限小を対称的な方向として把握することは決してできません。
これらの描像のためには人間の外面にある無限遠点を発見することが必要です」
詳細は、半田広宣氏の『2013:人類が神を見る日(徳間書店)』をお読み頂きたい。
4次元世界から3次元世界を覗き込む体験が出来るようになるかも知れない。
そして、あなたの後ろの正面には…………
夢蛇鬼王さん〜
いつもありがとうございます^^
「かごめ歌」に関する記事をアップしたので
宜しかったら ご覧ください。
このブログにコメント頂いたのは初めてですね?
ありがとう^^感謝さんのブログは難解ですが、たまに拝読させて頂いております^^
六芒星の中にかごめの歌で閉じ込められていたのは、三貴子の一柱、夜を操る月詠様です。
白い気と黒い気は互いに近づき、合わせて今を形作りました。地球の次元は上がっていくように思います。
コメントありがとうございます^^