2010年05月26日

ヤハウェに殺されかけたルシファーの預言者「モーゼ」の謎

20100202_497939.jpg

モーゼは元々、ルシファーを崇拝していたと思える節がある。
エジプト脱出の際、苦しみに耐えかねたイスラエル民族が不平を洩らした。
怒ったヤハウェは「炎の蛇」を送り込み、噛まれた人々は死に絶えた。
ここでも、ヤハウェ自身が「殺してはならない」という戒律を破っている。
「炎」と「蛇」はルシファーの象徴である。
民が許しを乞うと、モーゼはヤハウェの指示に従って「青銅の蛇」を作り、それを旗竿に掲げた。
すると、炎の蛇に噛まれても死ぬことはなくなった。
炎の蛇が「ルシファー」で、青銅の蛇が「イエス・キリスト」といったところだろうか。

だが、旗竿に掲げられた蛇は、エデンの園で「生命の樹」に絡みついていたルシファーの象徴である。
しかし、これは明らかに「偶像崇拝」に該当する。
「紅海割れの奇跡」も、ルシファー(シュメール神話の海水の竜神「ティアマト」)の力とも考えられなくもない。
また、モーゼは最初の十戒石板を割ってしまったが、それを与えた神が「ルシファー」だった可能性もある。
「火」はルシファーの象徴で、シナイ山は火山だからである。

egypt_01_14_01.jpg

ルシファーとバアルは同一神と見なせる為、ルシファーを「バアル」に置き換えても良い。
事実、バアルは「火山に降臨する神」だとされている。
更に、モーゼが山から下りてきた時、モーゼの額に角が生えていたという。

言うまでもなく、角は牡牛神「バアル」の象徴である。
それ故、中世の教会や聖画のモーゼ像には角が生えている。
だが、それが異教的な姿である為、近代に入って表現を「光」に変えられた。
頭から角のような2本の光を放ったモーゼが描かれるようになったのだ。

342px-Moses041.jpg

ヘブライ語で角は「コラ」だが、光も「コラ」である。
「光」はルシファーの象徴。
角であれ光であれ、モーゼはバアル(ルシファー)の預言者だった可能性がある。
決定的なのは、出エジプトの際、モーゼは神に命じられ、バアル神殿に面して夜営を張った事である。

また、昼は「雲の柱」、夜は「火の柱」と形容される謎の飛行物体が、イスラエル民族を出エジプトに導いた。
これは「葉巻形UFO」を彷彿させる。
UFOの強力なプラズマエネルギーが「紅海割れの奇跡」を起こしたと考えると、非常に現実味を帯びてくる。

h-mic2.jpg

ヤハウェはモーゼに「我は在りて在る者」と名乗り、十戒石板を与えた。
宇宙考古学者は、ヤハウェの正体を「異星人」だと言ってはばからない。
確かに、そう思えなくもない。
それが、絶対神からのメッセージを仲介する「天使」だと考える事も出来る。
『日月神示』を伝達した神の正体も、「サモンコール宇宙人」だという話がある。
UFOには乗っているが、肉体を持たない高次元の意識体らしい。

また、アリオンは以下のように語っている。

「我々はしばしば、多数の人間の集まる上空へ我々の機動母船を出動させる。
これら多くの人々の思念エネルギーを、有効なエネルギーに変換させるのが目的だ」


imagesCAZ86UPH.jpg

どうやら、アリオンのメッセージを仲介しているのもUFOらしい。
聖書で、神がしばしば「我々」と名乗っているように、アリオンも「我々」と名乗っている事が興味深い。
ただ、「我は在りて在る者」とは「実在」という意味である。
最先端の量子力学や医学では、「人間は肉体とサトルエネルギーの二重構造で構成されている」と言われている。
「サトル」とは「目に見えない極微な」という意味で、生体プラズマと同一視される。

要は、霊体の事だが、厳密には何重もの層で形成されており、この永遠不滅の「サトルボディ」が人間の本体である。
宗教ではよく、「物質は実在ではない」と説かれているが、肉体は仮の姿であり、「実在」とは霊体の事なのだ。
ヤハウェが言った「在りて在る者」とは、そういう意味に違いない。

_20060825-105640.jpg

「雲の柱」「火の柱」が何を指しているのか真相は不明だが、柱は「神」の象徴である。
そして、バアルは「雲に乗る者」と呼ばれており、「雲」はバアルの象徴。
「火」もバアル、またはルシファーの象徴で、アリオンの霊的傾向も「炎」である。
「柱」が物質的なものか、霊的な象徴かは分からないが、バアル(ルシファー)によって導かれたらしい事が窺える。
だが、「雲の柱」と「火の柱」が別物だとしたら、それは2つの異なる神を意味する事になる。

ある時、モーゼが「主」の命令でエジプトに行く途中、「主」はモーゼを殺そうとした。
何故、命令に従ったモーゼを殺そうとしたのだろうか。
ここまで来たら、完全に狂気の沙汰である。
悪魔でもそんな酷い事はしないだろう。
だが、前者の主が「バアル」で、後者の主が「ヤハウェ」だとしたら、話の筋が通ってくる。
一神教ゆえに、総ての神の名が「主」に書き換えられ、時にヤハウェ以外の「主」が「悪魔」とされてきたとしか考えられないのだ。
posted by ヘンリー・クライスト(夢蛇鬼王) at 10:30| Comment(0) | 【第1章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。