
ヘンリー・クライスト説では、彗星「メノラー」がノアの大洪水の引き金になったのに対して、古代エジプトに大災害をもたらしたのが惑星「ヤハウェ」だった。
この惑星「ヤハウェ」が絶対神とされた理由は、イスラエル民族に数々の奇跡を起こしたからに違いない。
そう考えると、神と悪魔(善と悪)は見方による違いだけであり、紙一重だという事になる。
一方、金星神は悪魔に貶められる事になった。
その理由の1つは、「偶像崇拝」である。
モーゼがシナイ山で、絶対神「ヤハウェ」から授かった「十戒」の中で、偶像の崇拝が戒められていた。
何故、偶像の崇拝が禁止されたのか……。
偶像は神の本体ではない。
従って、偶像は偶像に過ぎないという事だと思われるが、偶像崇拝は古代から世界中で盛んだった。
ユダヤ教の偶像崇拝の禁止を受け継ぐキリスト教でさえ、2000年経った今も十字架に掛けたままのイエスの偶像を崇拝している。
カトリックでは、神ではない「聖母マリア」の偶像崇拝も盛んである。

「鰯の頭も信心から」という言葉があるが、『日月神示』には次のように示されている。
「野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ」
「宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処つかんで拝んでもよいのである」
「始めは形あるものを対象として拝めよ。
形を通じて大神様を拝めよ。これが近道ぞ」
「総てに神の息、通ふているぞ。
一本の箸拝んでもよいのぢゃが、ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん」

偶像は良い目当てであり、偶像崇拝が悪い事だとは思えない。
ユダヤ教から見ると、仏像を崇拝する仏教も「偶像崇拝」という事になる。
何故、絶対神「ヤハウェ」は偶像崇拝を戒めたのだろうか。
イスラエル民族は、オリエントで盛んだった偶像崇拝の影響を受けた。
その偶像が主に、アシュタロト像だった事が原因であろう。
モーゼの十戒に、「わたしの他に神があってはならない」という戒めがあるが、これはイシュタル(ルシファー)信仰を辞めさせる為に作られた戒律だと言える。
それと「偶像崇拝の禁止」が深く関係しており、イシュタルなどの神を悪魔とし、ヤハウェを唯一神とする一神教「ユダヤ教」が誕生したのだ。
「あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい」
(「サムエル記・上」第7章3節)

ここで言う「主」は、絶対神「ヤハウェ」を指す。
そして、「アシュタロト」というのは実は複数形で、単数形では「アシュトレト」と呼ぶ。
アシュトレトは「バアル」の妻神で、これをセットにしたのが「アシュタロト」である。
イスラエル人は黄金の子牛像「アモン」を崇拝しており、これはエジプトにルーツを持つが、「バアル」とも同一視されている。
「彼らは主を捨てて、バアルとアシュトレトに仕えたので、主はイスラエルに対して怒りに燃え」
(「土師記」第2章13節)
実は、バアルもセム語で「主」を意味し、カナン神話の主神なのだ。
ユダヤ教は「ヤハウェ」以外の神々に悪魔のレッテルを貼り、偶像崇拝を悪魔信仰としたのだ。