
結論から言えば、「ノアの大洪水」は史実だった。
約6500年前、地球規模の大洪水が起きて、ノアチッツを除く人類は滅亡したのである。
『旧約聖書』の記述によると、箱舟に乗ったのはノアと3人の息子、そしてそれぞれの妻の計8人だった。
彼らの総称が「ノアチッツ」である。
人数は人口であり、8人を「八口」と書けば、「船」という漢字はノアの家族8人が舟に乗った事を表している。
神はノアに大洪水を預言し、箱舟の建造を指示した。
「あなたは、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
箱舟には小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい」
(「創世記」第6章14節)
その他、多くの動物が箱舟に乗せられたというから、かなりの巨船だったに違いない。
「また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。
……(中略)……
あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。
空の鳥も七つがい取りなさい」
(「創世記」第6章19節‐第7章3節)

箱舟の寸法は、全長300アンマ(約135メートル)、幅50アンマ(約22.5メートル)、高さ30アンマ(約13.5メートル)だったと記されている。
そして、ノアの家族と選ばれた動物たちが箱舟に入った。
「ノアの生涯の第六百年、第二の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
雨が四十日四十夜、地上に降り注いだ」
(「創世記」第7章11〜12節)
ノアが600歳の時、天変地異が起きて、大雨で地球規模の大洪水が発生。
40日後、箱舟はアララト山に漂着したという。
アララト山はトルコ北東部で、アルメニアやイランとの国境付近に聳える山である。
飛鳥昭雄氏によると、アララトの語源はアルメニアの古語で、メソポタミア地方に栄えた王国「ウラルトゥ」に由来するそうだ。
更に、ヘブライ語の原典では「山」は単数形ではなく、複数形で表記されているらしい。
つまり、ノアの箱舟が漂着したアララト山は、古代ウラルトゥ(アルメニア王国)の領土の山々を意味する。
このような具体的な大洪水伝説が、フィクションとは考えにくい。
実はこのアララト山系で、既にノアの箱舟の化石が発見されているのだ。

箱舟は上下に潰れて左右に歪み、正確な高さは不明だが、全長は約150メートル、幅は約45メートル。
元の寸法が聖書の記述通りだった可能性もある。
それは、現在の大型タンカーでも採用されている黄金比率「30:5:3」で、90度まで直立しても沈まないという。
箱舟は、アメリカ軍のレーダースキャン映像で3層構造になっている事が判明。
その事も聖書の記述と一致する。
「箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい」
(「創世記」第6章16節)
神の指示だったとは言え、なぜ超古代人のノアがこのような巨船を造ることが出来たのか……。
それは、大洪水以前の時代から、巨石文明を建造する程の技術が存在したからである。
ノアの大洪水によって地球全土が壊滅したが、唯一残された遺跡が、ギザの三大ピラミッドと大スフィンクスである。
古代エジプトではスフィンクスは必ず2体一対で描かれているが、大スフィンクスが1体しかないのは、ノアの大洪水で浸食して流されたからだ。

現在残っている大スフィンクスにも浸水の跡が確認されている事からも、その可能性は高い。
さて、ノアの箱舟がアララト山に漂着した後、ノアの家族8人はアララト山周辺(コーカサス地方)で暮らしていた。
聖書によると、ノアの息子は「セム」「ハム」「ヤフェト」の3人。
その後、ハムと黒人種だった妻がアフリカ大陸に移動し、黒人の祖となった。
次に、ノアから王権を継承したセムとその妻が東に移動し、アジア人の祖となった。
ヤフェトと白人種だった妻は、コーカサス地方に残って白人の祖となった。
そして、セム(メルキゼデク)が子孫のアブラハムに神権を授けた事が聖書に記されている。
「このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました」
(「ヘブライ人への手紙」第7章1節)
アブラハムは、シュメールの首都「ウル」の出身である。
という事は、事実上の初代シュメール王は「セム」で、二代目が「アブラハム」だった事になる。
が……シュメール王国はアッカドやバビロニアに支配され、シュメール人は各地に離散した。
アブラハムは一族を率いてカナンの地(パレスチナ)に移住したが、飢饉に襲われてエジプトに避難。
彼らはヘブライ人(遊牧民の意)と呼ばれた。