日本人は無神論者であっても、どこか心の奥底で漠然と神の存在を信じているように思える。
一方、堕天使や悪魔というと、日本人にはあまり馴染みがない。
というより、敬虔なクリスチャンでない限り、堕天使や悪魔の存在を信じている人は皆無に等しいと言っても過言ではないだろう。
だが、この世を支配している連中は、聖書の悪魔を「神」として崇拝しているという事実がある。
聖書の悪魔は「サタン(敵対者)」と呼ばれ、魔界の王として君臨している。
ユダヤ教によると、サタンはもともと「サマエル」という天使だった。
つまり、サタンは堕天使なのだ。
キリスト教における堕天使は「ルシファー」が有名だが、サタンと同一視される事もあれば、中世の神学では別の悪魔だとされていた。
ところが、聖書には「ルシファー」という名称は登場しない。
「ルシファー」という名称は、一体どこから出てきたのだろうか。
『旧約聖書』の預言書イザヤは、サタンの事をこう述べている。
「ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた」
(「イザヤ書」第14章12節)
「明けの明星」とは金星を指す言葉だが、金星は暗黒の夜空に輝く一番星で、サタンの象徴として相応しい星だといえるだろう。
この「明けの明星、曙の子」をヘブライ語で「ヘレル・ベン・サハル」というが、キリスト教の成立に伴って『旧約聖書』はラテン語に翻訳された。
この時に「ヘレル・ベン・サハル」は、「光を運ぶ者」を意味する「ルチ・フェロ」と訳され、ヨーロッパ諸国で「ルキフェル」「ルシフェル」「ルシファー」等と発音されるようになった。
そして『新約聖書』には、このように記されている。
「もはや天には彼らの居場所がなくなった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は投げ落とされた。
地上に投げ落としたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」
(「ヨハネの黙示録」第28章17節)
ルシファーはサタンであり、堕天使にして大魔王なのだ。
では、「年老いた蛇」とは何を意味するなのか。
それは、エデンの園でイブに禁断の木の実を食べさせた蛇である。
地に投げ落とされたルシファーは蛇に姿を変え、それが時を経て「巨大な竜」になったと表現されているのだ。
閣下が自叙伝を執筆するまでは、「反キリスト」をノリかウリキャラだと思っていました。
サタンの定義は、否定する者、アンチ・クライストだと信じていたのですから。
この場合、やはりキリスト教世界観のイエスの再臨が必要になってきます。
すべてはそれによって一挙解決なので。
でも、これでは世界がおそろしく幼稚なものになってしまいます。
この世界を仕組まれたものと見るとき、歴史を発展させてきたのは戦争であるので、対立構造自体を仕組まれたものと見るのが適当です。
人類史は対立構造の歴史なので、人間がそれを仕組むのは不可能です。
そこには霊的機関が存在し、それを存在せしめる種子というものが埋め込まれている気がしています。
では、善悪逆転とは、その種子の存在を認識することなのでしょうか?